田中の爺様

 前回は谷中村民に堤防工事や排水器設置の費用と言って、多額の借金をさせて、

そのお金を中抜きし、工事は手抜き工事であったことを書きました。

現代の日本人からは忘れ去られている事件であるのですが、

今日は、田中正造の言葉を書いておきたいと思いました。

 

「勲章も、サーベルも、早晩必ず起こるべき、天地転覆とともに、無用の長物となるべし」

 

と叫んでおられたそうです。それは、多分、今、きている。

 

谷中村は、肥沃な土地で室町時代から人が住んでいた記録があります。

明治14年に足尾銅山鉱毒事件が明るみになり、それから26年間かけ、公害事件をもみ消すために、渡良瀬川の治水問題にすりかえて、谷中村は破壊されてしまいました。

もともとは裕福な村だったので、私財で堤防を修復した村人もいましたが、

政府により、その堤防は破壊されてしまいました。(破壊した費用は村人に請求する。

信じられません!怒)また、村から移住するにしても、自分たちで資金をださなきゃならないし、(政府からお金を借りなきゃいけない。)その移住先は北海道や那須塩原など、木々が生い茂る場所を自力で開墾。

 

村民は命をかけて、大切な家屋の取り壊しに反対しているのに、無理やり壊して、

その取り壊し費用も村人に請求する。

 

もう、無茶苦茶だなと思いました。でもこれ、現代まで続いている。私たちも分からないように政府から搾り取られてきた。

もし、谷中村が現代にあったら、日本は農業大国なってたんじゃないかな?

現在の渡良瀬遊水地ラムサール条約湿地となっています。ラムサール条約とは何ぞや?なぜラムサール条約湿地になれたのでしょう?

うーん、疑問が出てきた。ちょっと調べてみようと。

 

 

 

 

 

 

明治40年6月29日から谷中村は政府により破壊されます。

当時の土地収用法という法律のもとはかいされたのです。